第五章 屈強の男、 突撃のススメ

  • 2012.11.20 Tuesday
  • 05:01

昨日、私が、私の今までの生涯において、最も尊敬する、内藤社長と会えた。

内藤社長はどんな方で、私が、何故内藤社長を心酔するほど尊敬しているか、それはここでは書かない。



私はかつて内藤社長を超える、屈強の男を目指した。内藤社長に出来る事を、全て内藤社長以上にこなし、世界最強レベルのバイタリティを欲した。

最高の憧れであり尊敬、それは同時にライバル心だった。労働者同士、男らしく挑戦しようと、クソ生意気なガキだった私は奮闘していた。

その偉人が、まさか私を訪ねて来てくれるなんて。喜びと同時に、

気づかされた。

特に最近の私の言動や、考え方は女々しい(語弊のないように付け加えるが、これは当然女性を悪く言う意味ではない)。

弱さに依存するような卑怯さと、怠惰な諦め(悩むなんて言い訳を含む)、これらは保身以下である。

同じ足場で、決意した事だけを、シンプルに、決意した通り、行動し続ける。

甘かった。全然挑戦していなかった。大きな反省と共に、内藤社長は、私の心に、

屈強の男を思い出させてくれた。

第四章 ハジシラズのススメ

  • 2012.01.13 Friday
  • 13:21

村山義光師匠の言葉から、
「他人に迷惑をかけまくって成長する!」

つまり、未熟者は、いかに努力を重ねても、成長段階にある限り、仲間や、恩人に対して何かしらの迷惑(自分目線で)をかけてしまうが、それを遠慮していたら、そこから先へは進めない。

これは、まるで子供が膨大な助けを親に求める過程に似ています。

とは言え、誰しも他人に迷惑なんかかけたくないし、逆に他人には喜んで欲しいと願う気持ちがあるはずです。

ただ、逆に自分が他人から、「頼り」にはされたい!

他人から「頼り」にされるという事は、それだけ尊敬されている、もしくは、ある要素を認められているという事になりますが、そうなるまでには、やはり迷惑をかけてしまうのは避けられないのかもしれません。

そうなれば、他人に迷惑をかけてしまう時期を、より早く終わらせるべく、努力を重ねて、となればいいのですが、その努力すら他人を巻き込んでしまいます。

つまり、師匠から伝えられた言葉、「他人に迷惑をかけまくって成長する!」は、言い換えれば、「1人では成長できない!」という事でしょう。

まず、この「1人では成長できない!」を知りつつ、でも、目標を定めたり、成長の過程を感じるのは、1人の時が多いので、いかに1人の時にするべき事を絞り込んで、それに集中できるか、また、その努力が、周囲にとって建設的な事かを知る事は大切ですね。

でも、私の親友であり、素晴らしいピアニスト、奥野 湖晴氏は、よく私と夜明けまで一緒に練習し、私の翌日の都合には全く遠慮しませんでした。また、私も然りです。大切なのは、練習を通じて、どれだけその練習内容を消化し、有意義に活用できるか、という事だったので、お互いに全く遠慮ナシでしたし、当然お互いの迷惑なんて考えもしませんでした。

ただ、そこまでしても有意義な練習をする事も、それを身につける事も、容易ではありません!

ただ、悩んでいても時間を無駄にするだけだと私は知っています。それに、例え必要な事でも、それだけに長時間を割くなんて、逆に効率的ではないのかもしれません。

そこで、やっぱり大切なのは、他人との関わりだと改めて思います。私も他人に迷惑をかけまくってしまう以上、効率的に成長しないといけません!

誰か一緒に練習しませんか?

第三章 村山義光流発狂のススメ

  • 2011.12.02 Friday
  • 02:21

■パンツ論
「人間みんな一皮めくればみんな一緒やねんからはよパンツ脱げっちゅうねん!」


■Anti Locker
「状況や物事をLockしてはいけない!」


■美人論
「全ての女性は美人で、全ての男は男前」


■チャンネルを変えさせない!
「一切の予定調和はダメ!人は同じモードが続くと必ず飽きてしまうから、変化に次ぐ変化を重ねて、チャンネルを変えさせない!」


■ジャズとは
「しっかり挨拶し、気の利いた受け答えのやりとりから、ドラマを作る!誰が聞いてくれてるか、以前に演奏者同士が楽しんでいないと!」


■演奏者たるもの
「聞きに来ていただける方々も、場所を提供していただける方々も、皆さんはその貴重な時間を割いて、大切なお金を支払ってくれてるんやから、衝撃を与え得る演奏をせなあかん!」


■黄金比率のグラデーション
「全ての物体には全域に渡って完全に同色なんて無い!ある部分には光が当たり、その逆には影があり、明暗の境にはグラデーションがある。演奏においても、常に変化させる中でも、変化に根拠を持たせ、紡いで行かないといけない!」
→演奏の分岐点、フレーズのセンテンス(いずれこのブログにて掲載予定)

■発言権
「Be-Bopがしっかり出来る人だけが発言権ありですわ!完全にコピー出来る事が人に聞いて貰える最低限のマナーやと思わなあきません!それが出来ずして、芸術家を装うやなんて偽物ですわ!」


■音楽とは
「つまり、道徳ですわ!」


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上記はご存知村山義光師匠の言葉から、かいつまんで私がまとめた物です。


■人生喜劇

村山義光師匠のライブにて、
村山義光師匠がライブされる店に入られた時から、人生喜劇は始まります!共演者と徹底的に音による会話、それも深く相手を見つめ、その共演者との会話を徹底的に魅力的に演出されます。時には観客に対しても強い激励を送られます!全ての心を、全ての景色を、パンツ論全開でAnti Lockerと化し、チャンネルを変えさせないグラデーションに富んだ演奏で、美人論を極め、その場に居る全員の人生をドラマにします!内容はともかくとして、なんか病んだ文章やなー!

こんな事が出来るもんか!なんて言わない!常に挑戦に次ぐ挑戦で、絵画に例えれば、景色の中の小さな雑草に至るまで、完全に命がけで彩り、いかなる些細な表情も見逃さず、ドブスに世界最高の笑顔を作り出す!女王に自ら人前でパンツを脱がせる!

(抽象的な事ばかり書いてますが、以下は私の話なので、どうでもいいです。また後日村山義光師匠のお言葉そのものを脚色せず掲載させていただきます。また、以下の文章は私が私の為だけに書き置くものです。)

桐生鷹虎苦悩記
実は、私はいつも自分を演出しています。本当は無口で大人しく、対人も苦手です。でも無理にでも陽気に振る舞い、こうなりたい!という、自分に近づこうと私は努力していますし、たくさんの方々のおかげで、最近は本当に陽気で居られます。

ただ、ライブを重ねる中で、自分の演奏の出来は当然熟知しています。克服するべき課題もわかっていますし、またそれをどう克服するか悩んでもいます。

時々強烈なジレンマに襲われます。個人練習にてシビアに録音した自分の演奏に落胆しそうになります。でもそれではいけない!

頑張って練習した効果が出ないんじゃなくて、日頃の全てがライブに反映するんです!練習においても思いっきり楽しまないといけません!私なんかには悩む資格すらないんですよ!

だから練習に練習を重ねます。まず報われませんが、あくまでそれは短期間での話。ただ、短期間で目に見える成長がしたい!誰しもそう願うはず!

時々、自分のジレンマに負けそうになります。でも私はギター弾きです!今はボーカリストとのデュオを基本にしてます!私が悩んでたら話になりません!はったりでも大船にならないと!

しかし喜び以外のこのツラさは、経験の無い人にはわかるはずもなく、またそれを経験できてる自分、誰かに笑われてる現在を本当は喜ぶべきなんですよ!

そして、過去、あるライブの後、私はそのライブの映像を見て自殺すら考えました。これはもはや努力云々の問題じゃない!無能という残酷な言葉が襲いかかります。

これは私だけじゃない!ミュージシャン達はみな、見えない所でギリギリの葛藤と戦っているんです!きっとそうですよ!

そして、私が苦悩を通り越した時、村山義光師匠に、私はどうしたらいいでしょうか?と質問させていただいた時、村山義光師匠から

「スカートの中に住みたい!100人に断られても101人目はわからんやろ!」

その村山義光師匠でさえ、スカートの中には住んでおられない!住民票の住所欄にスカートとは絶対書かれていないはずだ!

でもこのセンスこそが人生喜劇村山義光の魅力ですよ!

私なんか、
悩める分際ですらない!今後も挑んでやろう!村山義光師匠がそうされてるように!今から100回以上ライブして、いつかスカートの中に住むんですよ!

みっともない事を本気で、全力で楽しみながら戦ってるヤツは美しい!

逆にカッコつけとるヤツはダサい!

勝てない勝負こそするべきで、結果は必ず、「人生喜劇」であるべきです!まずは自分の人生に衝撃ですよ!

ここまでこの病んだ文章を読んでいただいた奇特な皆さん!一緒に心中ライブしましょうよ!是非ともご連絡下さい!

ただし、私はいつも一文無しです。

だって



ノイローゼなんだも〜〜〜〜ん!

第二章 豊かさと貧しさ

  • 2011.10.18 Tuesday
  • 03:11

豊かさと貧しさの評価基準は人それぞれ。

その評価基準は、
金銭や所有物のように物質的な物であったり、
時間、行動範囲、交友関係など、対外的な物であったり、
個人的な見解による道徳及び倫理観など、精神的な物であったり、
選択肢は数あれど、結局どれが正しいかなんて結論はないと思います。

つまり、人々はみな自分なりの財産を持っています。

他人を認め、肯定できる心を持つ事が豊かさ、

他人を否定し、攻撃する心を持つ事が貧しさ、

両者共に心は振る舞いに反映されるので、それによって自身の豊かさや貧しさも、より輪郭を帯び、大きくなっていくと考えれば、何を選択するでしょうか?

自分の正義感を他人に求めたり、他人の考えに干渉したりするのは、自分と相手、どちらにとって豊かであり貧しい物でしょうか?また公平性のある事でしょうか?

私は豊かさとは他人と共に得る物であり、
貧しさとは他人と共に失う物だと思います。

他人の自由を認める、そんな度量を育みたいものですね。

行動はまず自分から、それが信念です。

そして、ここで用いた「他人」を自分と思えば、つまり自分に対しては、どうするのが豊かさにつながり、また貧しさにつながるのでしょうか?

私は豊かでありたいです。

第一章 発狂のテーマ

  • 2011.10.15 Saturday
  • 02:03

私の言う「発狂」とは、あたり構わず、自分のエゴをぶつけたり、するべき事を放棄したり、とるべき態度を乱したり、そんな安直で無責任なものでは決してない!

思いっきり生きる事!目の前の事に全力で取り組む事にあります!

世の中の責務を全て背負う自負で、仕事に挑み、命がけで恋したり、夢や目標に向かって狂人のように立ち向かいながらも、仲間、しいては世の中に対して寛容でないといけない!そんな外柔内剛の姿勢に生涯謙虚な姿勢を貫き通す事!それこそ「発狂」と呼ぶに相応しいと私は思います。

身近では、例えば恋愛に関して、誰かを夢中になるくらい好きになるとしましょう。その相手に自分の思いを告げる時、絶対ふられたくない時、小手先の作戦や、曖昧な気持ちであるべきではない!その相手の人生をも全て支えるくらいの器量くらい持つべきじゃないでしょうか?腹を決めないといけないんです!真剣なだけでは足りない!本気でないと!そしてそれから起こる全てを包容できないような奴が浮ついた気持ちで、行動を起こすのは具の極みです!

全身全霊で、隣人を愛しましょう!それくらい誰かから必要とされたいですよね!誰しも納得できる自分になって、納得できる人生を歩みたいはずです!

悩み、苦しみ、でも希望を持つ自分に誇りを持ち、またこの世に1人しかいない自分を愛してあげましょう!

現在夢や希望がない、もしくは見失っている人は、誰かを思いっきり応援しましょう!外部からの熱と言えど、きっと何かが見つかるはずです!例えば、今の自分の職場で全力を尽くさないような卑怯な人に独立開業したり、世の中に物を申す器は絶対ありません!無ければ探さないといけないんです!

人は何かを意図して行動する以上に、建設された流れに乗るべきで、その流れを自分で建設したいもんです!もちろん多くの人々に平等に喜びを分かち合えるようにです!

とにかく望み、願い、真摯な姿勢であり続けていきたいですね!

私は音楽仲間全員を心から愛しています。そして深く尊敬し、彼ら全員の好きなところを説明できます!が、日々更に大好きになっていきます!それくらい皆さん魅力的なんですよ!

私は過去、自分は下らない人間で、存在価値のかけらすらないと、劣等感を抱いてきました。音楽にしてもこの才能の無さには呆れますが、だからこそ挑めるし、より沢山の人々を必要とし、またまだ見知らぬ人々と出会える事でしょう!

再度恋愛に例えたら、今私は大人の恋ができるようなっています。大人の恋とは、むやみに誰かの心を独り占めしたいなんてものではなく、相手の幸せを長い目で見て、願える心であり、私は彼らと同じ苦しみや、喜びが欲しい!

全身全霊心から音楽や仲間達、それを支えてくれている世の中に感謝し、愛しています。

こんな事をわざわざ口にして言う事こそが「発狂」なんですよ!

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